「共感しようね」という違和感
「共感と救い」がテーマになりつつあるのだけれど、それについての行動を起こそうと考えたときに「共感しようね」という行為は実はわたしの意に反していたのではないかということに気付いた。
共感にも色々ある。
一概に「共感」といっても救いを目的とした共感ではなく、意図せずに結果「救い」になっているということを考えてみたいと思った。
それを意識するかしないかで大きく行動が違ってくるんじゃなかろうか。
わたしの頭の端々にある記憶たち、あやかちゃんの埼玉のアパートで電子タバコを無言でまわして色々味見をしていた3年前の夏、てらしまとなんの話をするわけでもなく夜の海まで行って帰ってくるだけのドライブ、友人の家に泊まりがけ早朝ふと目が覚めて同じタイミングで目が覚めた1人と公園に出かけてブランコ下の蟻の巣を突いた朝、それら全ての思い出たちが間違いなく今のわたしの救いであり、これから生きていける記憶でもある。
ずっと共感しようとして躍起になりすぎていた気がする。
しかし「共感しようね」という行為が悪ではなく絶対的に必要なことでもあって、例えば友人と会って朝までひたすら語り合うだとか、絵を描くオタクとよくやる「推し描くから描いて会」、同人誌を描くこと、そしてシンプルに推しについてオタクと話す瞬間、それら全てが共感を目的とした救いを求める行為なのだろうなと、なくてはならない共感行為の一つでもあることがわかった。
それらは明確で言語化や行動にしやすい共感を目的とした救いであり、コンテンツとして成立しやすい、いわばお手軽な救済であった。
必要不可欠なはずなのに何か違う何か違うと思っていた。
ふと気づいた。
言語のない言語化できない、救おうとしないただの事実や物語、それが私が欲しいもう一つの救いだ。
ただあるがままの心地よさの共有、その感覚を永遠に求めていたいという純粋な欲に従いたい。
意図的に作る共感では絶対にその域には届かない。
おそらく干上がってしまった私の感覚はまさに「共感しようね」の環境に身を置きすぎて、自己の琴線から自然と湧き上がる言葉のない「共感した」という共鳴の瞬間を失い続けていたからなのかもしれない。
だから自分が陳腐な人間のように感じられて疲弊していた。
やっと分かった。
ただあるがままの日記を綴り共有すること、ただそこから始めてみたい。
たろ